はじめに
2019年9月か10月頃フィギュアスケートの試合のエキシビションで中国のアイスダンスペアが《陳情令》の曲で滑っていて、それがとても素敵でスケオタさんの間でちょっと話題になりました。
北米のスケオタさんがハマって見ていて評価も良く、私も見てみたい!と思いました。
でも当時日本では版権の関係でブロックされていたので見られず、2020年3月にWOWOWさんで放送されると聞いて楽しみに待っていました。
視聴し始めてあっという間に肖战さんのくるくる変わる表情に惹かれてファンになりました❣️
それまで中華エンタメとはまったくご縁がなかったので微博の見方も何もわからず、彼に大変なことが起こっているとしっかりわかったのは4月に入ってからでした🥲
(このブログでは2020年4月から12月までの彼の活動を不完全ですがメモとして記録していきます。
自分の当時のメモに後で知った情報を少し加えて更新していきます。)
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その頃に発表された《红梅赞》
歌がとてもお上手だな、と超新米ファンながら感動して、こんなクラシカルな歌い方もできてしまうんだ!!とかなり驚きました。
2020.4.10 肖战さん微博
cr.肖战衣橱·DayToyCloset
あの壮絶なネットサイバーの真っ只中に肖战さんがこの歌に込めた思いを語った民歌中国のリンクです⬇️
リンク切れ対策として引用を載せさせていただきます🙏
“重庆男孩”肖战:我把心中的《红梅赞》唱给你们听,愈冷愈开花象征着我们的民族精神
信息,从这里触达民歌圈
Googleさまの日本語翻訳を参考にしたざっくり訳です🙏⬇️
こんにちは、皆さん!肖战です。
今日は重慶を象徴するこの歌「紅梅賛」を歌います。
重慶といえば、ほとんどの人は最初に重慶火鍋という反応をします。
夏になると、たくさんの人が通りに座って、辛い鍋を食べたり、友達と划拳をしたり、冷たいビールを飲んだりして、重慶での生活はエネルギッシュです。
重慶の辛さは何が違うかと聞かれた時、私は辛さの中に痺れがある、と答えました。
山城(山の上の都市)の鍋は、これまで辛さを追求するだけでなく、辛さの中にゴマの香りも漂い、それが重慶の定番の味になっています。
私は非常に典型的な重慶人で、大胆果敢で真っ直ぐであり、火鍋のスープベースには重慶の味が全部入っていて、それらすべてが私の血に流れています。
私は重慶で育ち、20年以上住んでいました。重慶の人々は実はかなり「頑固」だと感じています。
毎日「登山」しているからでしょうか。
毎日山を登り、流れに逆らい、重慶のすべての人の骨の髄まで「頑固さ」のようなものがゆっくりと浸透していったようです。
北京に来て以来、故郷に帰る時間が少なくなりました。最近戻ったとき、路地に入って熱々の重慶小麺を食べました。子供の頃の路地の記憶はあまりはっきりしていませんが、なじみのある味わいで、今でもよく覚えています。
子供の頃、この「山の街」の一番の思い出は、山腹の果てしなく続く階段、坂道で叫ぶ「バンバン軍」、そして姿を消した朝天門の線路かもしれません。子供の頃、帰りに長い階段を上らなければならなかったのを今でも覚えています。
毎日、階段を上るのがとても大変だと感じました。本当にその階段を上るのは嫌でした。横に滑り台があって「スーッ」と滑り降りられると思っていました。でも毎日登り降りしていたら、もう大変だと思わなくなりました。
私が中学生の時、山の街にはまだたくさんの「バンバン軍」がいて、長さ1メートルの竹の棒と2本の青いナイロンのロープを持って通りを歩き回って叫んでいました。18番のはしごには、お年寄りや子供たち、物を運んでいる「バンバン軍」が登ろうとしている姿が見られました。
人生がそれほどスムーズではなくても、重慶の人々の精神を直感的に見ることができると思います。
常にあらゆる種類の困難に直面しなければなりませんが、それでもしっかりと楽しみ、向上し、振り返ることはありません。
重慶に行くなら、解放碑をぜひ訪れてください。両親はほぼ毎週連れて行ってくれていたのですが、当時はとても大きいと思っていました。でも今帰ってみると周りに高層ビルがたくさんあり、歴史的沈殿や発展、変化を感じさせてくれます。
コントラストと葛藤の感覚は、あまりにも長い間家を離れていたからかもしれません。彼女にもう一度会う時は、大きな期待に加えて奇妙さと不安な気持ちでいっぱいになります。
幸いなことに、重慶の街並みがどのように変化しても、彼女は私の記憶に残る山の都市であり、解放碑は常にその歩行者通りで重慶の変化を目の当たりにしています。
この四角い石碑は、旧市街の歴史を細かく砕いて、重慶のあらゆる世代の人々の骨に溶かしたかのようです。
私の祖母は重慶の典型的な人です。彼女は4人の子供を一人で育て上げました。彼女から、山の都市の人々の粘り強さを見ました。彼女はとても素晴らしいと思います。
子供の頃、子守歌として私に「軍港の夜」、「赤軍を送る十人」、「紅梅賛」を歌いました...これらの歌は小さい頃から歌っていて、今聞くと何年も前に祖母の腕の中で眠りについた夜に戻ったような気がします。
重慶の街で育ち、歌や小説に描かれた英雄の物語は私たちからそれほど遠いことではありません。
街のどこにでも、その時代の歴史的な痕跡を見ることができるからです。
初めて渣滓洞に行った時のことははっきりとは覚えてはいませんが、薄暗い部屋、虎のベンチ、空中の窪みをぼんやりと覚えています。
革命の殉教者たちがひどく拷問されたとき、彼らの意志を支え、敵にその意志をを壊されなかったこと、どのような精神を持っていたのか想像するのは難しいです。
どんなに文字で詳しく書かれたものよりも、この歴史を実際に歩き、体験し、感じていただく方がいいかと思います。
祖母が歌ってくれた「紅梅賛」を歌えることを光栄に思い、とても嬉しく思います。この曲のメロディはとても美しいです。歌詞を通して、獄中にいても英雄たちの逞しさや輝かしさが伝わってきます。
今回は私の心の中にある「紅梅賛」を歌います。この歌を通して若い方々に伝えたいのは、この歴史を忘れることはできませんが、もっと重要なことは、歴史を前進させるということです。
私たちが今経験しているコロナ禍の中でも、私たちは一生懸命働き、大きな犠牲を払っています。
私たちは困難に打ち負かされたり、悲しみに浸ったりすることはありません。
むしろ前向きな精神で前進し、火の中から生まれ変わりました。
この「紅梅賛」を重慶、コロナ流行後の中国、中国の10代の若者、そして私自身に捧げます。
予備リンク↓
🔗重慶の風景を合わせたファンの方の動画⬅︎click♪
これから少しずつ簡単なメモですが、2020年を振り返りつつまとめていきたいと思います。
(当時メモ用に使っていたアプリ、カード日記をちゃんと機能させようと思うと容量がものすごく大きくなってしまうので💧)
うーーん、続くかなー…💦💦
cr.weibo